統一新羅時代の古墳と土偶が残る歴史スポット
慶州西部、太宗武烈王陵から南へ延びる獐山(チャンサン)の丘陵に、統一新羅時代の古墳「獐山土偶塚(장산토우총)」があります。
1968年の調査で、人や動物をかたどった土製品「土偶(토우)」が出土したことから、この名前で呼ばれるようになりました。



華やかな王宮や大型古墳とは異なり、静かな丘陵にたたずむ遺跡ですが、統一新羅時代の葬送文化を知るうえで貴重な存在です。
8世紀中頃につくられた石室墓
獐山土偶塚は、8世紀中頃の統一新羅時代に築かれた横穴式石室墳です。
円形の封土は直径約19m、高さ約7m。中央には石造りの方形の玄室があり、南側から羨道が続いています。玄室内には、遺体を安置するための石製施設も設けられていました。
調査では複数の遺体を安置した痕跡が確認され、3つの施設から計4人が埋葬されたと考えられています。
古墳名の由来となった土偶
この古墳の大きな特徴は、名前の由来にもなった土偶です。

玄室の床の四隅から土偶の破片が見つかり、周辺からはさまざまな土器も出土しました。人や動物を表した土偶は、当時の葬送儀礼や死後の世界に対する考え方を知る手がかりとなっています。
出土した土器などから、古墳は8世紀中頃に築造された後、複数回にわたって追葬が行われたと推定されています。
統一新羅の葬送文化を伝える古墳
8世紀の新羅では、仏教の影響によって火葬が広がる一方、王族や貴族の間では石室墓に家族を葬る習慣も続いていました。






獐山土偶塚は、こうした統一新羅時代の葬送文化の多様性を伝える遺跡のひとつです。
慶州には、大陵苑や太宗武烈王陵をはじめ、多くの新羅古墳が残っています。獐山土偶塚を訪れれば、慶州の古墳文化をより深く知ることができるでしょう。
静かな慶州の古墳を訪ねて
獐山土偶塚は、華やかな観光名所とは異なる落ち着いた雰囲気の歴史スポットです。
周辺の新羅遺跡とあわせて巡ると、王陵や古墳の規模だけでなく、当時の人々の葬送や死後の世界に対する考え方にも触れられます。
慶州の歴史をゆっくり味わいたい方は、太宗武烈王陵や西岳洞古墳群と組み合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。
基本情報
| 項目 | 内容 |
| スポット名 | 慶州獐山土偶塚(경주 장산토우총) |
| 所在地 | 慶尚北道 慶州市 西岳洞一帯 |
| 時代 | 統一新羅時代 |
| 推定年代 | 8世紀中頃 |
| 遺跡の種類 | 横穴式石室墳 |
| 特徴 | 土偶や土器が出土した統一新羅時代の古墳 |
※現地の状況や文化財の公開状況は変更される場合があります。訪問前に最新情報をご確認ください。

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