韓国に残る16世紀末の日本式城郭「倭城」
豊臣秀吉の朝鮮侵略によって築かれた日本式城郭を訪ねる
韓国南部の海岸地域には、現在も「倭城(わじょう、韓国語:왜성)」と呼ばれる日本式城郭の遺跡が残っています。
これらの城は、16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮侵略に際して、主に日本軍が築いた軍事拠点です。
1592年に始まった壬辰倭乱(文禄の役)の後、日本軍は朝鮮半島南部の海岸地域を中心に城を築き、1597年に始まった丁酉再乱(慶長の役)でも、これらの城を拠点として利用しました。
現在、韓国南海岸には多くの倭城跡が残っており、日本の城郭史だけでなく、壬辰倭乱・丁酉再乱の歴史を知るうえでも重要な遺跡となっています。
海岸沿いに築かれた「倭城」
韓国に残る倭城の大きな特徴は、海岸や河口、港に近い場所に築かれていることです。
日本からの海上輸送を利用しやすく、各地の城を連携させながら兵員や物資を移動させる必要があったためです。
また、山の斜面や丘陵の地形を利用し、城の中心となる主郭を高い場所に置き、その周囲に複数の曲輪(くるわ)を配置するなど、16世紀末の日本の城郭に見られる特徴も確認できます。
石垣には自然石を中心とする石材を用い、斜面や高低差を利用して防御力を高めています。現在でも残された石垣を見ると、日本の城郭技術が朝鮮半島の地形や軍事状況に合わせて用いられたことが分かります。
釜山・慶尚南道・蔚山に残る代表的な倭城
亀浦倭城(구포왜성)
釜山広域市北区徳川洞にある倭城です。
洛東江を見渡す丘陵上に築かれた城で、現在も石垣や城郭の遺構を見ることができます。
亀浦倭城は、韓国の国家遺産制度上、釜山広域市記念物に指定されています。指定区域の面積は約37,739平方メートルです。
釜山市内から比較的アクセスしやすく、釜山周辺で倭城の遺跡を見学したい人にとって訪ねやすい場所です。
機張竹城里倭城(기장 죽성리 왜성)
釜山広域市機張郡竹城里に残る倭城です。
海岸に近い丘陵地を利用して築かれており、現在も石垣などの遺構が残っています。
機張竹城里倭城は、釜山広域市記念物に指定されています。釜山中心部の観光地とは異なる、歴史的な釜山を知ることができる場所です。
熊川倭城(웅천왜성)
昌原特例市鎮海区にある倭城で、南山倭城とも呼ばれています。
海抜約184メートルの南山の斜面から山頂にかけて築かれ、現在も石垣や曲輪の一部が残っています。
城は日本式の城郭構造を持ち、主郭を中心として山の斜面に複数の曲輪や防御施設が配置されていました。
また、海岸に近い立地を利用し、安骨浦、馬山、加徳島、巨済島方面と連絡する戦略的な拠点として機能しました。
熊川倭城は、慶尚南道記念物に指定されています。
泗川・宣津里城(사천 선진리성)
泗川市にある宣津里城も、丁酉再乱の際に日本軍が利用した城郭遺跡です。
1598年には、朝鮮・明連合軍による攻撃が行われ、大規模な戦闘の舞台となりました。
現在は公園として整備され、城跡とともに周辺の歴史を訪ねることができます。宣津里城は、慶尚南道記念物に指定されています。
蔚山を代表する「西生浦倭城」と「蔚山倭城」
西生浦倭城(서생포왜성)
釜山からも訪れやすい代表的な倭城の一つが、蔚山広域市蔚州郡西生面にある西生浦倭城です。
西生浦倭城は、文禄の役の時期に加藤清正らによって築かれたとされ、回야江ではなく、韓国語で「회야강」と表記される回夜江と港に近い立地を利用した重要な軍事拠点でした。築城年は一般に1593年と説明されますが、築城・改修は複数年にわたって行われたと考えられています。
現在は大規模な石垣が残り、山上から周辺の海岸地域を見渡すことができます。
また、1594年には、朝鮮側の僧侶である松雲大師(四溟大師、朝鮮語:사명대사)がこの城を訪れ、加藤清正と講和交渉を行ったことで知られています。
西生浦倭城は、蔚山広域市文化遺産資料に指定されています。
蔚山倭城(울산왜성)
蔚山広域市中心部の鶴城洞にあった蔚山倭城は、丁酉再乱の際に築かれた城です。
1597年、加藤清正らが築城を指揮し、浅野幸長らも築城に関わったとされています。築城には多数の兵が動員され、短期間で城郭が整備されましたが、「浅野幸長が約16,000人を動員し、約40日で築いた」とする細部は史料によって異なるため、断定は避けるべきです。
1597年末から1598年初めにかけて、朝鮮・明連合軍による攻撃が行われ、激しい戦闘の舞台となりました。この戦いは、一般に蔚山城の戦いと呼ばれています。
現在は都市化によって往時の姿が大きく変わっていますが、蔚山の歴史を語る重要な遺跡の一つです。
全羅南道まで続く倭城のネットワーク
韓国の倭城は釜山周辺だけではありません。
西側には全羅南道の順天まで分布しており、順天倭城は丁酉再乱の際に小西行長らが築いた大規模な城郭です。築城は1597年から進められ、順天倭城は小西行長の居城として整備されました。
本丸・内城・外城からなる構造を持ち、1598年には朝鮮・明連合軍による攻撃が行われました。この戦闘は順天倭城の戦いとして知られています。
順天倭城は、16世紀末の日本の石垣造りや城郭構造を知ることができる重要な遺跡です。
現在も残る「戦国時代末期の日本の城」
韓国に残る倭城は、日本国内にある城とは異なる歴史を持っています。
日本国内の城の多くがその後の日本史の中で発展・改修されたのに対し、韓国の倭城は主に16世紀末の短い期間に、朝鮮侵略のための軍事目的で築かれたものです。
そのため、現在残っている石垣や曲輪、城門跡などから、戦国時代末期から近世初頭にかけての日本の築城技術を知ることができる貴重な遺跡となっています。
一方で、これらの城が築かれた背景には、豊臣秀吉による朝鮮侵略と、朝鮮・明側の抵抗という歴史があります。
観光で訪れる際には、単なる「日本の城跡」として見るのではなく、朝鮮半島と日本、中国の歴史が交差した場所として、その背景にも目を向けたい遺跡です。
釜山で出会う16世紀末の倭城
釜山周辺には、亀浦倭城(구포왜성)、機張竹城里倭城(기장 죽성리 왜성)など、現在も倭城の遺構が残っています。
さらに少し足を延ばせば、昌原の熊川倭城(웅천왜성)、蔚山の西生浦倭城(서생포왜성)、泗川の宣津里城(사천 선진리성)、全羅南道の順天倭城(순천왜성)などを訪れることができます。
釜山旅行で海岸の景色やグルメだけでなく、16世紀末の歴史を感じる旅をしたい人には、これらの倭城跡を巡るコースもおすすめです。
石垣の一つひとつを見ながら歩いていると、400年以上前、この場所がどのような役割を果たしていたのかを想像することができます。


