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蔚山倭城|鶴城公園に残る加藤清正と丁酉再乱の歴史

蔚山倭城(鶴城公園)

韓国・蔚山広域市(울산광역시)中区の**鶴城公園(ハクソンゴンウォン/학성공원)には、1597年の丁酉再乱(慶長の役)の際に日本軍が築いた蔚山倭城(ウルサンウェソン/울산왜성)**の跡が残っています。

現在は公園として整備されていますが、園内には石垣や城郭の痕跡が残されており、400年以上前にこの場所で繰り広げられた歴史を感じることができます。

蔚山倭城は、韓国では**「島山城(トサンソン/도산성)」や「甑城(シルソン/시루성)」**などの名前でも知られています。現在残る遺構は、蔚山の歴史を知るうえで重要な文化遺産です。

1597年に築かれた日本式城郭

蔚山倭城は1597年、丁酉再乱の際に築かれました。

城の設計を担当したのは**加藤清正(かとう きよまさ/가토 기요마사)で、築城には浅野幸長(あさの よしなが/아사노 요시나가)**が関わったとされています。

約16,000人が動員され、40日ほどで築城されたと伝えられています。日本軍にとって蔚山倭城は、西生浦倭城より北側の地域を確保するための重要な軍事拠点でした。

現在の鶴城公園は小高い丘の上にありますが、当時はこの地形を利用して城郭が築かれていました。

西生浦倭城との深い関係

蔚山倭城を理解するうえで、ぜひ一緒に知っておきたいのが**西生浦倭城(ソセンポウェソン/서생포왜성)**です。

西生浦倭城は1593年に加藤清正によって築かれ、蔚山の南側に位置する日本軍の重要な拠点として利用されました。

その後、1597年の丁酉再乱になると、日本軍は西生浦倭城より北側の拠点を確保するため、蔚山倭城を築きました。

つまり、

1593年 西生浦倭城を築城
↓
1597年 その北側に蔚山倭城を築城
↓
1597~1598年 蔚山倭城をめぐる戦闘

という流れになります。

さらに、蔚山倭城が朝鮮・明連合軍に包囲された際には、西生浦倭城から援軍が集まり、蔚山倭城を支援した記録も残っています。

そのため、現在の西生浦倭城と蔚山倭城を続けて訪れると、当時の日本軍がこの地域に築いた城郭ネットワークをより具体的に理解できます。

「蔚山倭城の戦い」の舞台

蔚山倭城では、1597年12月から1598年にかけて、朝鮮・明連合軍との激しい戦闘が行われました。

特に1597年12月22日から1598年1月4日までの第一次攻撃と、1598年9月22日から25日までの第二次攻撃の2回、大規模な攻撃を受けました。

しかし、朝鮮・明連合軍は蔚山倭城を陥落させることができませんでした。

当時、城内の日本軍は食料や弾薬が不足し、非常に厳しい籠城戦を強いられたと記録されています。

この戦いは**「蔚山倭城の戦い」または「蔚山戦闘」**として知られ、蔚山倭城は丁酉再乱における重要な戦闘の舞台となりました。

鶴城公園に残る石垣

現在の鶴城公園では、当時の蔚山倭城がそのまま残っているわけではありませんが、発掘調査によって本丸、二之丸、三之丸などの城郭構造が確認されています。

城壁の一部は現在も残されており、石垣は斜面に沿って築かれています。

蔚山倭城は、山頂部分を中心に複数の曲輪を連続させた構造を持っていました。また、城壁には鉄砲を配置するための防御施設や、出入口となる虎口なども設けられていました。

現在の鶴城公園を歩きながら周囲を見てみると、単なる公園ではなく、かつてここに大規模な城郭が存在していたことを感じることができます。

城の石には、この土地の歴史も残る

蔚山倭城の築城には、周辺の石材が利用されたと伝えられています。

記録によると、蔚山邑城や兵営城の石を取り崩して、蔚山倭城の築城に利用したとされています。

発掘調査では、城門に使われた石材や、他の施設から運ばれたと考えられる石材なども確認されています。

そのため、現在残る石垣を見ると、蔚山倭城だけでなく、当時の蔚山地域に存在していた城郭や歴史にも思いを巡らせることができます。

「鶴城公園」として市民に親しまれる場所

現在、蔚山倭城跡は鶴城公園として整備され、市民の散策場所となっています。

歴史遺跡でありながら、現在は緑の多い静かな公園となっているため、蔚山市街地を観光する際に気軽に立ち寄ることができます。

公園内を歩きながら城跡を探してみると、一般的な観光地とは違った、蔚山の歴史を感じられる散策を楽しめます。

また、蔚山市では現在、鶴城公園と太和江をつなぐ水路復元事業の基本計画も策定しており、歴史資産と水辺の景観を組み合わせた観光・散策空間の整備も検討されています。

日本の城郭史に興味がある方にもおすすめ

蔚山倭城は、日本国内に残る城とは違い、朝鮮半島に築かれた**「倭城」**の一つです。

16世紀末の日本式城郭の特徴を海外で見ることができるため、日本の城郭史に興味がある方にとっても興味深い場所です。

特に西生浦倭城と比較すると、それぞれの立地や構造の違いも分かりやすくなります。

西生浦倭城は海岸近くの山を利用した城、蔚山倭城は現在の蔚山市街地に近い丘陵を利用した城という違いもあります。

2つの城跡を合わせて訪れることで、当時の日本軍が蔚山から釜山方面にかけてどのように拠点を配置していたのかを考えるきっかけになります。

釜山から蔚山へ歴史散策

釜山から蔚山へ足を延ばす場合、蔚山倭城だけでなく、周辺の観光スポットと組み合わせるのもおすすめです。

蔚山には太和江国家庭園(태화강 국가정원)、大王岩公園(대왕암공원)、長生浦など、歴史・自然・海を楽しめる観光スポットがあります。

また、先に紹介した西生浦倭城と合わせて訪れると、壬辰倭乱・丁酉再乱の時代にこの地域で築かれた倭城について、より深く知ることができます。

現在は静かな公園となっている鶴城公園ですが、400年以上前にはこの場所で大規模な戦闘が行われていました。

蔚山倭城は、現在の蔚山市街地に残る石垣を通して、壬辰倭乱・丁酉再乱の歴史を身近に感じることができる場所です。


蔚山倭城(울산왜성)基本情報

名称: 蔚山倭城(ウルサンウェソン/울산왜성)
別名: 島山城(トサンソン/도산성)、甑城(シルソン/시루성)、鶴城
所在地: 蔚山広域市 中区 鶴城公園3キル54一帯
韓国語住所: 울산광역시 중구 학성공원3길 54 일원
築城: 1597年
関連人物: 加藤清正、浅野幸長
見どころ: 石垣、城郭跡、鶴城公園、蔚山倭城の戦いの歴史
入場: 無料
開園: 年中無休

※現地の施設・道路・観光情報は変更される場合があります。訪問前に最新情報をご確認ください。

蔚山倭城の手前にある市内バス乗り場

本丸の石垣

三の丸

二の丸

二段城壁

登り石垣

本丸の出入口

本丸

蔚山倭城の本丸から眺めた蔚山市内の風景

船入口

蔚山倭城の入口

蔚山倭城は、泗川船津里倭城、順天倭城とともに、倭軍と朝鮮・明連合軍の実際の戦闘が行われた 慶長の役当時の3大戦場です。

釜山から蔚山倭城へのアクセス

釜山から蔚山倭城(울산왜성)へ公共交通機関で行く場合は、東海線(동해선)の広域電鉄を利用して蔚山の太和江駅(태화강역)まで移動し、そこからタクシーを利用する方法が分かりやすく便利です。

釜山・釜田駅(부전역)
↓ 東海線・広域電鉄
太和江駅(태화강역)
↓ タクシー
蔚山倭城・学城公園(학성공원)

東海線は釜山の釜田駅から東莱、海雲台、機張などを経由して、蔚山の太和江駅までつながっています。釜田駅から太和江駅までは、広域電鉄で約80分が目安です。

太和江駅から蔚山倭城までは、タクシーを利用すると便利です。タクシーでは目的地を「蔚山倭城(울산왜성)」または「学城公園(학성공원)」と伝えると分かりやすいでしょう。

釜山駅から向かう場合は、まず釜山都市鉄道1号線などを利用して釜田駅へ移動し、東海線に乗り換えます。交通カードを利用すれば、釜山都市鉄道と東海線の乗り換えも利用できます。

※列車の運行時間は曜日や時期によって変わる場合がありますので、旅行当日は最新の時刻表を確認することをおすすめします。

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