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釜山鎮城公園(子城台倭城)

釜山鎮城公園(子城台倭城)

釜山鎮城公園(プサンジンソン公園)

日本式城郭の歴史が残る、釜山の歴史スポット

釜山の中心部、東区・凡一洞にある**釜山鎮城公園(부산진성공원)**は、現在の釜山の街並みの中に残る歴史的な城跡です。

以前は「子城台公園(チャソンデ公園)」として知られていましたが、2023年1月に正式名称が「釜山鎮城公園」に変更されました。現在の公園には城門や城壁、楼閣などが復元され、朝鮮時代から壬辰倭乱、そしてその後の朝鮮水軍まで、釜山の歴史を感じることができます。公園の面積は約24,084㎡で、釜山広域市記念物第7号に指定されています。

朝鮮時代の重要な海岸防衛拠点

釜山鎮は、朝鮮時代から日本との海上交通に近い場所に位置していたため、東南海岸を守る重要な軍事拠点でした。

1407年には慶尚左道の水軍司令部が置かれ、1490年には船や軍需物資を守るため、現在の増山(チュンサン)のふもとに釜山鎮城が築かれました。

つまり、現在の釜山鎮城公園は、もともと朝鮮水軍が釜山の海岸を守るために使用していた場所だったのです。

壬辰倭乱と日本式城郭

釜山鎮城の歴史で特に興味深いのが、1592年に始まった**壬辰倭乱(文禄・慶長の役)**との関係です。

1592年、釜山鎮城は日本軍によって攻略され、その後、毛利輝元(もうり・てるもと)らによって城が大きく改修されました。

日本軍は、もともとの朝鮮側の城をそのまま使用したのではなく、増山の山頂に本城となる増山倭城を築き、その南東側の海岸に近い場所には、本城を守るための支城を築きました。

現在の釜山鎮城公園周辺は、この支城にあたる場所です。釜山鎮城は、壬辰倭乱の際に築かれた日本式城郭と、その後の朝鮮水軍による再利用という、二つの歴史が重なっている非常に珍しい城跡です。

「子城台」という名前の由来

現在の釜山鎮城公園を以前「子城台(チャソンデ)」と呼んでいたのも、この歴史と関係があります。

「子城」とは、本城を守るために本城の外側に築かれた支城を意味します。

増山の山頂に築かれた増山倭城を「本城」とし、その防衛のために海岸側に築かれた城が「子城」と呼ばれました。

そのため、この場所は長い間「子城台」と呼ばれてきました。

現在は正式名称が「釜山鎮城公園」に変更されていますが、「子城台」という名前は、ここが本城を守る支城として築かれた歴史を今に伝えています。

日本式城郭の痕跡を見る

公園を歩くと、石垣や城門、城壁などを見ることができます。

現在残っている城跡の大部分は、長い年月の間に失われていますが、壬辰倭乱の際に築かれた倭城と、その後の朝鮮水軍による利用を考えながら見ると、単なる公園とは違った印象を受けます。

特に現在の城壁には、日本式城郭の築城技術を考えることができる石垣が残されています。

ただし、現在見ることができる建物のすべてが当時のまま残っているわけではありません。

日本統治時代の都市整備などによって城郭の大部分が撤去され、その後、1970年代に復元整備が行われました。

1974年には、東門にあたる建春門(コンチュンムン)、西門の金壘関(クムルグァン)、そして将台である**鎮南台(チンナムデ)**などが復元されています。

日本軍の城から朝鮮水軍の城へ

釜山鎮城の歴史でもう一つ興味深いのは、壬辰倭乱が終わった後のことです。

戦争後の1607年、朝鮮水軍は増山倭城の支城だったこの場所へ軍営を移し、再び釜山鎮城として使用しました。

つまり、この城跡は、

朝鮮水軍の防衛拠点
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壬辰倭乱
↓
日本軍による倭城の築城
↓
戦後、朝鮮水軍による再利用
↓
現在の釜山鎮城公園

という複雑な歴史を持っています。

そのため、釜山鎮城公園は「日本の城跡」あるいは「韓国の城跡」という一つの見方だけではなく、一つの場所に朝鮮と日本の歴史が重なっている城跡として見ると、より興味深い観光スポットです。

釜山の街の中で静かに歴史を感じる公園

現在の釜山鎮城公園は、歴史遺跡であると同時に、地元の人々が散歩や休憩に利用する市民公園でもあります。

高層ビルや商業施設が並ぶ釜山の中心部に、城門や石垣、木々に囲まれた静かな空間が残っているのが特徴です。

歴史に詳しくない方でも、城門をくぐって城壁を歩いてみるだけで、現在の釜山とは違う「昔の釜山」を感じることができます。

朝鮮通信使の歴史にも触れられる

釜山鎮城公園の近くには、朝鮮通信使歴史館があります。

朝鮮通信使は、江戸時代に朝鮮王朝から日本へ派遣された外交使節団で、朝鮮と日本の交流史を知るうえで重要な存在です。

釜山鎮城公園と合わせて訪れると、戦争の歴史だけでなく、その後の朝鮮と日本の交流についても知ることができます。

釜山市も、釜山鎮城公園と朝鮮通信使歴史館を周辺の歴史観光スポットとして紹介しています。

子城台公園
倭城の城壁

萬公台(マンゴンデ)

子城台公園

「萬公臺(マンゴンデ)」と呼ばれるもう一つの歴史

釜山鎮城公園を歩いていると、**「萬公臺(マンゴンデ・만공대)」**という名前にも出会います。

現在の釜山鎮城には「子城台(チャソンデ)」と「萬公臺(マンゴンデ)」という二つの歴史的な呼び名が伝わっています。萬公臺という名前は、壬辰倭乱の際に朝鮮を支援するために派遣された**明(中国)の将軍・万世徳(萬世德)**に由来します。

壬辰倭乱の後、この場所には明軍の将軍・万世徳の軍隊が一時的に駐屯したとされ、その功績をたたえるために**「萬公壇(만공단)」**が設けられました。

そのため、この場所は「子城台」と呼ばれる一方で、万世徳を記念する場所として**「萬公臺」**という名称でも呼ばれるようになりました。

つまり、「子城台」という名前が日本軍が築いた本城の支城という城郭構造に由来するのに対し、「萬公臺」という名前には、壬辰倭乱における明軍の援軍と、その功績を記憶する歴史が刻まれているのです。

現在の公園を訪れた際には、城壁や門だけを見るのではなく、「子城台」と「萬公臺」という二つの名前にも注目してみてください。

一つの城跡に、朝鮮水軍、日本軍、そして明軍という異なる歴史が重なっていることが分かります。

釜山鎮城公園は、単なる古い城跡ではなく、16世紀末の東アジアの歴史を感じることができる場所なのです。

釜山の有名観光地を一通り訪れた方は、ぜひ**「歴史の釜山」**を感じる場所として釜山鎮城公園を訪れてみてください。

最寄り駅は「凡一駅」

釜山鎮城公園へ地下鉄で行く場合は、**釜山地下鉄1号線「凡一(ポミル)駅」**が便利です。

凡一駅2番出口から出て、釜山鎮市場方面へ歩くと、約7分で釜山鎮城公園の入口に到着します。

駅から近いため、南浦洞や釜山駅、西面方面から地下鉄で移動して訪れることができます。

周辺観光と合わせて楽しむ

釜山鎮城公園の周辺には、釜山の昔の暮らしや歴史を感じられる場所が集まっています。

凡一駅
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釜山鎮城公園
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朝鮮通信使歴史館
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釜山鎮市場
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凡一洞・釜山鎮市場周辺

というルートで歩くと、城跡だけでなく、現在の釜山の市場や街の雰囲気も一緒に楽しめます。

特に釜山鎮市場は、韓服や生地、布製品などを扱う店舗が多く、観光客向けの大型市場とは少し違った釜山の日常を見ることができます。

釜山ナビからひとこと

釜山鎮城公園は、海雲台や南浦洞のような有名観光地とは少し違い、釜山の歴史をゆっくり感じたい方におすすめの場所です。

特に日本から釜山を訪れる方にとっては、壬辰倭乱の時代に日本軍が築いた倭城、その後の朝鮮水軍による再利用、そして現在の釜山まで続く歴史を一つの場所で知ることができます。

また、近くには朝鮮通信使歴史館もあるため、戦争だけでなく、朝鮮と日本の交流の歴史まで合わせて訪ねることができます。

基本情報

スポット名: 釜山鎮城公園(부산진성공원)
所在地: 釜山広域市 東区 子城路99(凡一洞)
面積: 約24,084㎡
文化財: 釜山広域市記念物 第7号
最寄り駅: 釜山地下鉄1号線「凡一(ポミル)駅」2番出口から徒歩約7分
周辺スポット: 朝鮮通信使歴史館、釜山鎮市場

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