長門逋倭城
長門逋倭城

こんにちは、釜山市から車で1時間ほどのところにある巨済島は、海に囲まれた自然豊かな島で釜山市と海底トンネルで繋がれ、多くの観光客が訪れる景勝地ですが、巨済島には1593年(文禄2年)に築城されたいくつかの倭城が残っています。 長木湾の両脇の山頂のうえに長門湾を守備するための長門逋倭城と松真浦倭城があり、長門逋城は北西口の107メートルの丘の上に築かれています。

長門逋は長木面、長木港を指すもので、この港の地形は狭くて長く見えるので長門逋と呼ばれました。

倭軍は1592年8月、韓山大捷に敗れ、南海岸の海を朝鮮水軍が支配すると、朝鮮水軍の攻撃を避けて駐屯地を確保するために巨済の北側である長門地域に3つの倭城である松真浦倭城、長門逋倭城、永登浦倭城を作り、その後、1597年 慶長の役の時、統営に面している見乃梁海峡に見乃梁倭城を追加で築きました。

長門逋倭城は山の頂部と中腹を削って平らにした後、石を積み重ねて城壁を築造しました。中央部には本城を置き、両側に第2城と第3城を配置し、複数の区域に分けて独立した防御ができるようにしました。

現在残っている城壁の周囲は710m、高さ3.5m、幅3.5mです。 また、この城を利用して日本が日露戦争(1904-1905)時代に砲台を設置した痕跡が残っています。

長門逋倭城は、1998年11月13日、巨済島にある4つの倭城の中で唯一に慶尚南道文化財資料に指定されました。車道から倭城の入口までは、穏やかな道になっているので割りと見学しやすいところに位置しています。

スポット名長門逋倭城
jangmunpo-waeseong 장문포왜성
住所慶尚南道 巨済市 長木面 長木里 130-43
경상남도 거제시 장목면 장목리 130-43
指定慶南文化財資料第273号
築城年代1953年、文禄2年
築城者蜂須賀政ほか
標高107メートル
規模長さ710メートル、高さ3.5メートル、幅3.5メートル
主な遺構石垣、石塁、虎口、竪土塁
※上記の記事は取材時点での情報を元に作成しています。 現地の事情によって今とは内容が異なる場合がありますので、ご了承ください。
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