永登浦倭城
永登浦倭城

永登浦倭城は、文禄の役の時に島津義弘が築城して守備したと言われており、日本軍2000人が駐留したと言われています。

巨済島北部に配置された長門浦倭城、松真浦倭城などと一緒に3つの倭城のうち最も北端に位置しており、北側には海を挟んで熊川倭城、安骨倭城、明洞倭城などが位置しています。

倭城は巨済島の北端に位置するデボン山 海抜257.7mの頂上から少し北側に下りてくる尾根一帯に位置しており、巨済島に位置する倭城の中で最も高いところに位置しています。長門浦倭城と松真浦倭城から見ると北東方向に位置し、直線の距離は約3kmです。

旧永登城から南西方向に直線距離約600mに位置する永登浦倭城の城壁は自然割石を利用し、横方向に安定した小石を敷き詰めた布目積みをしています。二之丸に相当する部分には自然割石を多用しています。角の築造は比較的大きな石材を使用して算木積で築造し、大型の鏡石も一部使用されました。

海岸に位置する旧営村の南側の野山の麓が三之丸に該当する部分で、ここには1490年に築造された朝鮮の旧永登城が位置していますが、城内の中央に倭城壁の特徴を示す城壁が築造されており、文禄の役の初期に日本軍が朝鮮城の一部を改修したり、補完して使用したということがわかる良い資料となっています。

店名永登浦倭城
영등포왜성
住所慶尚南道 巨済市 長木面 旧永里山6-17
경상남도 거제시 장목면 구영리 산6-17
築城年代1592年
築城者島津 義弘
標高225メートル
※上記の記事は取材時点での情報を元に作成しています。 現地の事情によって今とは内容が異なる場合がありますので、ご了承ください。
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