慶州月城
慶州月城

世界文化遺産・慶州歴史遺跡地区の月城地区にある新羅時代の宮城

新羅第5代の王である婆娑尼師今(朴氏、110年)のときに築城された新羅の王城。お城が半月の形にしているので半月城とも呼ばれており、土と石を混ぜてつくられた周囲2,400メートルの月城は、お城の周りは堀と川に囲まれた自然地形を十分に利用したこじんまりの新羅時代のお城です。

新羅の宮城を明活山城に定めた新羅第20代の慈悲麻立干(金氏、475年)と新羅第21代の炤知麻立干(金氏、487年)の時期を除くと、935年高麗に降伏するまでひたすら新羅の王が居住した王城でした。


慶州月城の堀
堀とは、城郭の周囲に沿って土を掘り、水を入れて敵が容易に侵入できないようにした防御施設のこと。新羅王宮だった月城の南側には南川、北側には堀が造成され、水によって保護された。

月城は「三國史記」の「101年、新羅第5代王であるパサイサグムが城を築いた」という記事をはじめ、様々な文献に登場するが、内部の具体的な構造や堀などの周辺施設に関する記録は伝わっていない。堀は1984年の発掘調査により、南川に接する南側を除く月城の周囲に堀が囲まれており、堀の北側外郭には家屋跡などの遺構が一部発見された。その後、数回の発掘調査を通じて、月城の堀は新羅が三国を統一した時を起点にその姿と機能が変化したことを確認した。

統一前の4~7世紀には竪穴堀として、水路のような形をしており、防御と排水が重要な機能だった。 しかし、三国統一後の8世紀以降は石築堀として造成され、以前より規模が縮小され、狭い水路でつながった複数の独立した池の形に変わった。 この時期の堀は防御よりも景観の意味が強かった。

8~9世紀頃に官庁が拡張されると、堀はさらに縮小され、その周辺に様々な建物が建てられた。この時期の堀は水を入れる石積みの堀で、2022年に七つの堀が再現・整備されている。 月城の堀は、月城の昔の姿を推定する上で重要な鍵といえる。


月城は現在発掘調査で最中であり、お城に残っている唯一な建築物としては18世紀に作られた小山のような天然の冷蔵庫である石氷庫があります。

石氷庫

発掘調査中の月城

慶州月城
慶州月城

慶州月城から眺めた慶州市内、遠くに瞻星台(チョムソンデ)と古墳公園が見えます。

2010年ユネスコ世界文化遺産になった五つの慶州歴史遺跡地区のうち、月城地区に当たり、この月城を中心に月池(ウォルチ)、慶州国立博物館、鶏林(ケリム)、大陵苑(テヌンウォン)・天馬塚(チョンマチョン)、瞻星台(チョムソンデ)、皇龍寺址などの慶州歴史遺跡地区の世界遺産が広がっているので、徒歩でも慶州の文化遺産を満喫できます。

基本情報
スポット名慶州月城
경주월성
住所慶尚北道 慶州市 仁旺洞 387-1
경상북도 경주시 인왕동 387-1
入場料無料
詳細情報半月城 史跡第16号 / 石氷庫 宝物第66号

行き方:慶州駅や慶州市街バスターミナルから徒歩30分ほどかかります。市内バスもありますが、月城に向かう途中に様々な新羅の文化財があちこちに散在しているので、徒歩での移動をお勧めます。

※上記の記事は取材時点での情報を元に作成しています。 現地の事情によって今とは内容が異なる場合がありますので、ご了承ください。
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