韓国歴史旅行– 韓国遺跡地区 –
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仏影寺
名勝6号の仏影寺谷にある新羅千年の古代寺院 慶尚北道・蔚珍邑から西へ約20キロほどの場所に尼寺の仏影寺があります。天竺山の西のふもとに位置する仏影寺は、新羅の第28代の真徳女王5年(651)、義湘大師が山の形がインドの天竺山とよく似ていて現在の場... -
鹿洞書院
スポット名鹿洞書院 녹동서원住所大邱広域市 達城郡 嘉昌面 友鹿里 585대구광역시 달성군 가창면 우록길 585 電話番号053-767-5790時間タルソン韓日友好館09:00~18:00 (冬11月~2月 09:00~17:00)休業日正月、旧正連休、秋夕連休入場料無料サイトhttp://... -
蔚珍鳳坪新羅碑展示館
美しい蔚珍・竹邊港の近所に位置する蔚珍鳳坪新羅碑展示館は、新羅23代の法興王11年に建立された蔚珍鳳坪新羅碑を展示している展示館です。1988年偶然に発見されたこの碑石には、総398ほどの文字が刻まれており、特に6世紀初頭の新羅の地方社会や制度を知... -
海南方山里長鼓峰古墳
こんにちは、韓国の全羅南道の海岸に分布している前方後円墳のうちに最南端に位置する海南方山里長鼓峰古墳は、全長約76メートル、高さ10メートルほどで、これまで韓国で確認された前方後円墳のなかで、その規模が最も大きい古墳とされています。 この古墳... -
宮南池(扶余 薯童公園)
扶餘市内から南へ約1キロほど離れている宮南池は、百済30代の武王(ムワン、生年不詳~641年)の時に造成された百済時代の池の庭園です。宮南池の西には1935年、石田茂作によって百済寺院としては最初に発掘された扶餘軍守里寺址があり、東には百済泗沘(サビ... -
奈勿王陵
新羅の古代国家としての基盤を作り上げた新羅第17代王の王陵 こんにちは、新羅千年の都、慶州市内に2000年12月ユネスコから世界文化遺産に指定された五つの慶州歴史遺跡地区のうち、新羅の王、王妃、貴族たちが眠っている小高い古墳が山々のように密集して... -
慶州郷校
慶州校村韓屋マウルに位置する李氏朝鮮時代の儒学を教えた国立教育機関! こんにちは、新羅千年の都、慶州は、市内に新羅時代の遺物があちこちにありますが、古代新羅の王宮が位置する月城西側には、崔氏古宅と瑤石宮、校銅法酒などの李氏朝鮮時代の建築物... -
金庾信将軍墓
古代の韓半島は、北部には高句麗、南西部は百済、南東部の新羅が対立し、7世紀まで、領土争いの激しい戦争が繰り返されたのですが、太宗武烈王(金春秋(キム・チュンチュ))7年、金庾信(キム・ユシン)は、中国の唐と連合して百済を滅ぼし、文武王8年(668)に... -
慶州獐山土偶塚
ハニワが出土された統一新羅時代の古墳 慶州市の太宗武烈(29代、654~661)王陵からKTX新慶州駅方面へ約2キロほど離れている海抜114メートルの獐山(ジャンサン)南東の丘陵末端部に位置する統一新羅時代の古墳です。発掘調査で人や獣の形を粘土で焼いた埴輪... -
慶州金尺里古墳群
KTX新慶州駅から慶州市 乾川邑(コンチョンウッ)方面へ 向かう平地に大小30余あまりの新羅時代の古墳が集まっています。本格的な発掘調査は行われていませんが、1952年に破壊された古墳2基を調査しましたが、平地に木の部屋を作り、その上を川から拾って... -
感恩寺址
東海岸から攻め込んでくる倭寇から新羅を守ろうして建立されたお寺 感恩寺址の3重の石塔 新羅は高句麗と百済を破り、三国統一(668年)を成し遂げた新羅の第30代の文武王が新羅を倭寇から守るために鎭国寺を創建しようとしましたが、完成を目の前にして病で... -
掘仏寺址
慶州の北側の小剛山の麓に位置している掘仏寺址の四面仏は、統一新羅時代に刻まれた高さ約3.5メートルの大きな花崗岩の岩に様々な仏像を刻んだ「四面仏」です。 「三国遺事」による掘仏寺は、仏国寺を創建した新羅第35代の景徳王様が栢栗寺(ペンリュルサ)に... -
衆生寺
慶州狼山の西北端に位置する衆生寺は新羅30代の文武王の火葬場である陵只塔から北へ約200メートルほど歩いたところにある新羅時代のお寺です。 1940年代、衆生寺の旧跡に建てられた現在の衆生寺には宝物第665号として指定されている磨崖菩薩三尊座像があり... -
銀海寺
大邱・桐華寺とともに八公山の代表的なお寺として、三国遺事を書いた一然をはじめ、多くの高層を輩出した寺院 -
修德寺
修徳寺大雄殿は、韓国に現存する木造建物のうち、安東市の鳳停寺極楽殿(国宝15号)と、栄州市の浮石寺無量寿殿(国宝18号)に続き、韓国古建築物として国宝第49号に指定されています。 -
忠州博物館
国宝第6号、中原塔坪里七重石塔がそびえている中央塔公園に位置する忠淸北道 忠州市の忠州博物館 -
松広寺
三宝寺院のうち、高僧を多く輩出していることで僧宝寺刹と呼ばれていた名刹 仏教では仏宝と法宝と僧宝を三宝と言い、その宝をそれぞれ収まっているお寺のことを三宝寺院と言います。 順川市から西北に位置している曹渓山の西の山麓に位置する松広寺(ソン... -
淸海鎮張保皐遺跡地
偉大な海上帝国を夢見ていた新羅の将軍・チャンボゴの遺跡地 1984年9月1日、史跡第308号に指定された淸海鎮張保皐遺跡地は、統一新羅時代において、清海大使・張保皐(チャンボゴ・?~846年)が1万の軍を率いて海上貿易を繁盛させた場所として知られてい...