韓国歴史旅行– 韓国遺跡地区 –
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慶州邑城
慶州は千年歴史の息吹が感じられるところですが、高麗時代や李氏朝鮮時代の遺跡も慶州の街中に多く残っています。旧慶州駅前の城東市場と近隣している場所に高麗時代の顯宗3年(1012年)に築かれたと推定している慶州邑城の跡地があります。 慶州市東部洞と... -
西生浦倭城
釜山市と蔚山市の境にあり、韓国に残っている倭城のうち、お城の規模が最も大きく保存状態も優れた倭城 -
羅州伏岩里古墳群
全羅南道 羅州市内から西へ約7.5キロほど離れている羅州 伏岩里 古墳群は、栄山江(ヨンサンガン)北岸の川辺に形成された沖積平野に位置しています。 羅州には栄山江流域ならでは特有な大型甕棺古墳が多く分布していますが、伏岩里古墳は、馬韓の甕棺から百... -
咸安博物館・咸安末伊山古墳群
4世紀の伽耶諸国の中心となった阿羅加耶の燦爛たる歴史がうかがえる博物館 -
釜山倭城
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、最初の戦いが繰り広げられた釜山浦倭城 -
釜山鎮城公園(子城台倭城)
こんにちは、釜山地下鉄1号線の凡一駅の2番出口から徒歩10分ほどの場所にある子城台公園は、文禄・慶長の役(壬辰倭乱、1592~1598年)の際に築城された16世紀の日本のお城で、現在は、釜山市民たちの憩い場として使われています。 西門の金壘關 釜山鎮城... -
金海竹島倭城
金海平野や洛東江などが一望することができる場所にある倭城 -
機張竹城里倭城
1593年、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、築城された倭城 -
熊川倭城
こんにちは、釜山から西へ車で約1時間ほどかかる昌原市 鎮海区は、毎年4月になると韓国最大の桜祭り「鎮海軍港祭」が開催される海軍基地がある街ですが、あの鎮海に16世紀に築城された日本のお城があります。 熊川倭城 熊川倭城は鎮海市内から13キロほど離... -
加德倭城(訥次倭城)
こんにちは、釜山西部に位置する加德島は、昔、釜山と南海岸をつなぐ軍事的な要衝地として重要な位置を占めていた島でした。加德島の北にある標高70メートルの小高い山の頂上には文禄2年1592年に起きた文禄の役の際、6番隊の主将として出陣した小早川隆景... -
熊川安骨倭城
釜山加徳島の手前に位置し、鎮海の熊川倭城から約5キロほど離れている倭城! -
梁山倭城
梁山市の梁山タワーから車で10分ほどの場所にある梁山倭城 この集落をまっすぐ登っていくと梁山倭城があります。 釜山市の西部に流れている洛東江の下流には、豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」の時に築城された倭城がいくつか残っていますが、洛東江の本流と梁... -
亀浦倭城
釜山西部、亀浦市場の付近に位置している倭城 -
骨窟寺
新羅千年の古都、慶州の代表的な仏教遺跡地といえば、世界文化遺産である南山、吐含山の仏国寺と石窟庵などがありますが、慶州の中心部から東海岸の方面に約20キロほど離れている含月山の裾に韓国唯一の石窟寺院と呼ばれる骨窟寺(コルグルサ)がありま... -
朝鮮通信使歴史館
17世紀から韓日の文化交流を担っていた朝鮮通信使の業績を振り返ってみる朝鮮通信使歴史館が2011年4月21日子城台公園の敷地に開館しました。 通信使の「通信」というのは現在使っているような意味ではなく、「信じる気持ちで相互交通」するという意味でし... -
表忠寺
慶尚南道 密陽市(ミリャンシ)から東方へ20キロ離れた載薬山( チャヤッサン、海抜1108メートル)の南麓に位置している表忠寺(ピョチュンサ)は、もともと新羅時代の武烈王(654)の時に創建され、当時は竹林寺と称されましたが、1592年に勃発した壬辰倭... -
鳳停寺
韓国儒教の街、安東市内から西北方面に約30分ほど離れている鳳停寺は、新羅672年(文武王(ムンムワン12年)、義湘大師の弟子である能人大師が修行のあと、道力で折り紙の鳳凰を作って飛ばしたら、この鳳凰が降り立ったこの場所にお寺を建てたことから鳳停... -
鎮海駅(廃駅)
美しい桜と海軍の街・昌原市 鎮海区にある鎮海線の鎮海駅!今は廃駅となり、近代文化遺産として指定されています。 -
蔚山 盤亀台岩刻画
幅約8m、高さ約3m程度の岩画は、韓国で発見された先史時代の遺跡の中で最も古いもので、約300点余りの絵が刻まれており、岩に刻まれた絵のうち、クジラを狩る非常にリアルな絵は約7000年前の新石器時代、地球上に現存する最古のクジラ狩りの絵として評価されている。 -
蔚山甕器博物館(外高山甕器村)
2010年の蔚山世界陶磁器文化エキスポが開催された場所でもある外高山甕器村は、1950年代から現在まで陶磁器を直接焼き始め、60~70年代には多くの陶芸家たちが集まって陶磁器を作り、全国陶磁器の50%以上を生産する韓国最大規模のオンギ村です。